「愛を両手に」に寄せて
この曲を初めて聴いたのは、去年の2月 "Second line & Acoustic collection II"仙台公演だったと記憶している。
大木さんが「ばあちゃんが亡くなったときに作った」と言った時点で、ああもうこれ泣くしかないやつじゃん…。
自分も祖母のことを「ばあちゃん」って呼んでいたこと、亡くなったのが2月だったこともあり、思い出さずにはいられなかった。
当時、高校3年生。
中学生の弟とタクシーに乗って、病院に駆けつけた記憶がある。
ついたときにはもう息を引き取った後で、でも、まだ、温かかった。体温が、残っていた。
その温かさがなくならないように手を握りしめて、でもだんだんと冷たくなっていって、泣きじゃくって、思ったことがあった。
神様なんて、いないんだ。
初めて「死」を意識したのは、F1レーサー アイルトン・セナの事故死だったと思う。GWに父と見ていたテレビで、セナのマシンがコースを外れて壁に激突したシーンを見てしまった。
セナの葬儀の日、母国ブラジルでは仕事や学校が休みになり、国をあげて行われた葬儀の写真は日本の新聞にも載り、その切り抜きを日記に貼り付けた当時小学生のわたしは、GW休み明けクラスの思い出発表の場で、セナの死をあげた。
それから、漠然と「死」に対する恐怖を感じるようになったのだと思う。
GWの楽しい思い出をあげるべきところを、ひとりだけ悲しいことをあげてしまったからか、もともと問題児だったからか、当時わたしは担任と交換日記のようなやりとりをしていた。そこにも、「死が怖い」と書いた記憶がある。担任の返事は忘れてしまったけれど、しばらくは眠る前の真っ暗闇の中で「死」について考えては怯えていた。
幸いなことに高校3年の2月までは、身近なところに「死」がやってくることはなかった。
小学生の頃から漠然と「死」に恐怖を抱き、『アンネの日記』で生きたくても生きられない理不尽な「死」があることを知り、図書館でアウシュビッツ強制収容所の写真集を開き、地下鉄サリン事件や阪神大震災が起こり、それでも「死」はテレビや本の中の出来事だった。
自分の身近に「死」がやってきたとき、この時だけは神様を信じて祈った。
神様なんて本当にいるか分からない。
でも、きっといるんだろう。
わたしがこの時だけ神様に祈ったように、セナの事故の際にブラジルや世界の人々が祈った神様、アンネが祈った神様、いろんなところに、いろんな神様がいるんだろう。
「愛を両手に」を聴いていると、そんなことを思わずにはいられない。
わたしにとって、あの夜は、まさに「『神様がいなければ良かった』と思ってしまったそんな夜」だったから。